天神さんは学問の神様。菅原道真公(菅公)をお祀りする神社です。
歴史上の人物で公家だった菅原道真がなぜ神様になったのでしょうか?
以外に菅原道真が神様になった理由は怨霊になったからでした。
まずは歴史上の人物としての菅原道真の人生。怨霊から天神になったいきさつ。そして天神さまのご利益を紹介します。
菅原道真の人生
平安時代に生きた歴史上の人物です。
承和12年(845年)学問の名家「菅原家」に生まれました。菅原家は古代豪族・土師氏の末裔。奈良時代。道真の曽祖父の代から「菅原」に姓を変えました。他にも大枝(大江)・秋篠に改姓した一族もいます。桓武天皇の母・高野新笠の母も土師氏出身。大枝(大江)氏に改姓した一族です。
若い頃から和歌や漢詩の才能をみせ成人してからは文章博士になりました。
学問の名家とはいえ、家柄が厳しい時代。公家としては中堅クラスの家柄でした。藤原氏や源氏に比べると地位は低かったのです。
仁和2年(886年)讃岐守になりました。任期中に阿衝事件(あこうじけん)がおきました。ときの老政治家・藤原基経が即位したばかりの若い宇多天皇に反抗して仕事をボイコット。天皇は困っていました。その話を聞いた道真は藤原基経に抗議文を書いて提出。その後、基経は政治に復帰しました。この事件がきっかけで宇多天皇の信頼を得ます。その後、宇多天皇に抜擢されて朝廷の要職を務めました。学者出身としては吉備真備以来の異例の出世でした。当然、公家たちの妬みは大きくなります。
道真は讃岐守の経験をもとに地方で苦しむ人の負担を軽くするため税制改革を行おうとしました。ところが既得権を守ろうとする公家たちと対立。宇多天皇が醍醐天皇に譲位すると公家たちとの対立はますます激しくなりました。
最終的には公家たちの陰謀で大宰府に左遷されてしまいます。
でも職場の異動だけならまだましだったでしょう。太宰府では仕事はあたえられず、ろくな住居も用意されません。事実上の流罪でした。
延喜3年(903年)無念の死をとげます。
怨霊になった道真
その後、都では疫病や災害が多発。清涼殿に雷が落ちて多数の死傷者が出ました。ショックを受けた醍醐天皇は闘病生活の後、死亡。公家や皇族にも犠牲者が出ます。
これを菅原道真の怨霊だと思った朝廷は天暦元年(947年)。北野(北野天満宮)に道真の祠を建立。「天満大自在天神」の神号を贈りました。菅原道真は神として祀られることになりました。
神様としての名前は「天満大自在天神」なのです。
その後、北野社は道真の祟りを恐れる公家たちの寄進によって整備され。やがて王城の守護神として崇拝されます。怨霊は都を守る神になりました。
また、道真が葬られた大宰府では道真を弔うため安楽寺を建立。やがて太宰府天満宮になります。
天満宮は各地に勧請されます。はじめは北野天満宮や安楽寺の所領があった地域。菅原家や一族の土師氏のゆかりの土地。国府や国分寺のあった地域にも天満宮は勧請されました。さらにその周辺に広まりました。
学問の神になった道真公
怨霊として恐れられた道真ですが。怨霊騒ぎも一段落した980年頃になると早くも学問の神として注目されます。菅原家の人々や弟子たちが崇拝したのはもちろん。学者たちの間には天神を学問の神として崇拝する人たちがではじめました。
文人歌人たちは北野天満宮に集まり和歌や漢詩の会を開いたり、吉祥院(吉祥院天満宮・道真の祖父の屋敷があったところ)にある道真の聖廟に詣でたり。貴族で文人の慶滋保胤(よししげのやすたね)は「天神は文道の祖・詩境の主為るなり」と道真を絶賛しています。
鎌倉位時代以降になると禅僧たちが天神を崇拝。当時の禅僧は宗教だけを行ってるのではなく一流の知識人でした。書道や漢文の名人、道真の真っ直ぐな生き方に深い共感をもっていました。ますます学問の神として広まりました。
江戸時代になると寺子屋が普及しました。寺子屋では天神が学問の神として信仰され、庶民にも天神信仰が広まりました。その流れは現在の天神信仰につながります。
天神さまのご神徳
では天神さまのご神徳を紹介しましょう。ご神徳とはわかりやすくいえば、ご利益です。
天神さまは学問の神様として有名ですね。でも天神・菅原道真公のご神徳はそれだけではありません。では代表的なご利益を紹介します。
学問
言わずとしれた学問の神様。生前の菅原道真公は5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り、成人してからは文章博士という地位につきました。今でいうと東大の学長よりも偉い。日本一の学者でした。天皇にも直接意見できる立場にあり、時の天皇も道真の意見を頼りにしていました。
怨霊として恐れられている時代にも、一部の公家からは学問の達人として慕われていました。鎌倉時代には学問の神として知られるようになり。江戸時代になると寺子屋が普及。庶民のあいだにも学問や書道の上達の神様として広く知られるようになりました。
今でも受験シーズンには多くの受験者と家族が天満宮に訪れます。受験だけでなく普段の勉強や書道、詩の創作など。さまざまな知的活動にご利益があるとされます。
厄除け
道真公が神として祀られるきっかけは怨霊として恐れられたから。怨霊とは恨みを持った人が、死後、災害や疫病をおこす神になること。でも怒りを沈めて優しくなると、逆に災害や災から守ってくれる神様になります。それを 御霊(ごりょう)といいます。
あまり知られていませんが道真公も日本を代表する御霊。御霊は疫病を鎮めることもできます。
厄年の厄除けももちろんあります。
こういう時代こそ改めて道真公のご利益に注目するのもいいかもしれません。
冤罪を晴らす
菅原道真公は公家たちによって謀反の疑いをかけられ太宰府に左遷されてしまいました。冤罪で死んでしまった道真公はその恨みをはらすため怨霊になったとされました。道真公の死後、4月20日。朝廷は道真が無罪だったことを認め、左遷を取り消し、位をもとに戻しました。
北野天満宮ではその日を記念して毎年4月20日に「明祭」という道真公の冤罪が晴れたことを祝う祭祀がおこなわれます。そこから無実の罪で苦しむ人々を救う神としての信仰が生まれました。
道真公は自らが味わった冤罪の苦しみを他の人には味わってほしくないとの想いから、無実の罪で苦しむ人々を助ける神になったのです。
正直・誠実
道真公は正直な生き方を貫きました。至誠(しせい)の神として信仰されました。至誠とは「とても誠実なこと」「真心のある人」という意味。
今の世の中「自分さえよければ」という考えの人もいますが、そういう人が増えれば苦しむ人が増え、争いも起こりやすくなります。誠実さ正直さは今の世の中に一番求められていることかもしれません。
だからでしょうか。道真公の生き方に共感した人々によって今も誠実さ・正直さの神として慕われています。子供が「思いやりのある人に育つように」と願いをかけるのも良いかもしれませんね。
学問だけでない天神さま
他にも全国の天満宮・天神社にはその地域の神社ならではのご利益があるところもあります。
進学や勉強成績の上達を願っている人はもちろん。学問は関係ないと思っている人にも必要なご利益があるかもしれません。
近くの天満宮・天神社におとずれてみてはいかがでしょうか?
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