神社仏閣巡りの楽しみの一つとして人気を集める御朱印集め。
SNS映えする美しい御朱印に魅力を感じる方も多いでしょう。でもその過熱ぶりから「御朱印集めはよくない」といった声も聞かれるようになりました。
本来は参拝の証である御朱印が、いつの間にかコレクションの対象となり、転売や参拝者のマナー低下といった問題も引き起こされています。
この記事では、なぜ御朱印集めが「よくない」と言われるのか、その理由を深掘りし御朱印との正しい向き合い方を考えます。
御朱印は証明書
ズバリ、結論というと。御朱印は参拝したという証明書。ただそれだけです。
市役所でもらう住民票や印鑑証明と同じです。
昔の人たちは寺社に参拝した証として御朱印をいただきました。江戸時代はお伊勢参りや金毘羅参り、出雲参りなど、さまざまな寺社巡りが流行りました。それでも誰もが気軽に神社仏閣参りが出来たわけではありません。
みんなでお金を出し合って代表が行ったり、村の代表が行ったり。人々の願いを背負って参拝する人もいました。代表としてお参りに行ったのなら、仲間に参拝した証明を見せる必要があります。
「この人は参拝に来ましたよ」という意味で寺社が発行したのが御朱印なのです。
もちろん個人的に参拝した証明がほしくて御朱印を授かった人もいるでしょう。
重要なのは、御朱印は寺社に参拝した事実を証明するための紙。それ自体にご利益はありません。
アルバイトの方が書いても神職の方が書いても価値は同じです。
現代のような印刷技術が発達した社会なら、ワープロで印刷されたものでも証明書としての役割は果たせます。でもそれだとせっかく伝統を残している神社仏閣に来た雰囲気が壊れてしまいます。
だから、多くの寺社では今もなお墨と筆による手書きという 古い な形式 を守り続けているのですね。
御朱印は結果として手元に残るもの
御朱印は参拝した証明書。神社に参拝して証明書が必要だと思えば手に入るもの。神社に参拝する回数が増えれば結果として集まることはある。ただそれだけのものです。
御朱印集めの何が「良くない」のか?
ところが最近では、美しいデザインや期間限定といった言葉に惹かれ、コレクションアイテムのように扱われることが増えてきました。
もちろん、素敵な御朱印を集めるのは楽しいです。でもそのせいで「参拝」という 本来の行為がおろそかになってしまうとしたら、それは少し残念なことかもしれません。
コレクション化で変わる価値。「参拝」あってこその御朱印
考えてみてください。どんなに美しい御朱印もお参りをせずに手に入れたとしたら、それはただの紙切れです。
御朱印はあなたがその場所を訪れ手を合わせた「結果」として、ありがたく手元に残るもの。お参りもせずに御朱印をしても、意味はありません。
例えばフリマサイトで高額で転売されている限定御朱印を見かけることがあります。
本当にその御朱印を大切にしたい方が手に入れられないのは、とても心苦しいですよね。
また御朱印の入手だけに意識が向き、お参りもせずに社務所へという人を見かけると、少し寂しい気持ちになります。
御朱印集めが招く「良くない」こと
御朱印がコレクションの対象になると、他にもいくつか気になる点が出てきます。
転売目的の取得
悲しいことですが、転売目的で御朱印を大量に取得する人が現れ、本当に欲しい方の手に渡らないことがあります。
参拝の質の低下
御朱印のデザインや日付ばかりを気にして、神様や仏様への感謝の気持ちを伝える時間が少なくなってしまうかもしれません。
神社の負担増
限定御朱印の対応に追われ、本来の静かで落ち着いた環境が損なわれたり、神職の方々の負担が増えたりする可能性も考えられます。
参拝者のマナー問題
御朱印を求める列での割り込みや、写真撮影禁止場所での撮影など、お客様のような態度で参拝する人が見受けられることもあります。
これらの問題は御朱印が本来の「参拝の証明」という大切な意味合いから離れてしまっていることが、一つの原因なのかもしれません。
参拝せずに御朱印をいただくのは「お参りしてきた詐欺」
御朱印は参拝しなければただの紙切れ
御朱印は参拝した神様や仏様とのご縁が結ばれた証とも言えます。ですから御朱印を受け取る前にはまず本殿・拝殿を参拝をしなければ意味がありません。
もちろん社務所の方が参拝したのかどうかの確認することはありません。参拝したと信じて御朱印を発行してくれます。
でも参拝せずに御朱印をいただくのはお参りしてきたよ詐欺です。
日本の神様はそんなに厳格ではありませんし、御朱印は人間側の都合です。だから神様が直接的な罰を与えることはないかもしれません。
でも参拝せずに御朱印を受け取るのは不正行為を働いている。といえるのではないでしょうか?
お目当ての御朱印が手に入らないのは縁がないから
「珍しい御朱印があると聞いてわざわざ来たのに、期待していたものと違った」「もっときれいにに書いてほしい」など。
御朱印をいただいたにも関わらず不満を漏らす人がいます。
また、「せっかく神社に行ったのに、御朱印をいただけなかった」という経験をした人もいるかもしれません。
でも御朱印がいただけなかったり、期待したものと違ったりするのは、あなたと神様との「ご縁」がまだ深まる時期ではなかったのかもしれません。
「今はまだその時ではない」という神聖なメッセージである可能性も考えられます。
人間の思い通りにならないこともある、という神聖な教訓として受け止めることも大切です。
神社側の対応も遅れている
確かに御朱印ブームになった割には神社側の対応も昔ながらの所が多いです。
参拝者の多いところは御朱印とお守りは別の受付で行った方がいいのでは?と思うこともあります。時代についていけない部分もありますね。参拝者の迷惑にならないように神社側も配慮は必要でしょうね。
それでも御朱印が欲しいあなたへ
それでも神社仏閣に行きたい。せっかく行くのだから参拝した記念を残したい。というのであれば参拝をしたうえで御朱印を集めるのもいいかと思います。
それに近頃では「◯◯めぐり」というものもあります。これは地域やテーマごとに神社仏閣が協力して参拝者を集めようという取り組みです。
古くは四国お遍路や三十三観音、熊野九十九王子など修行や信仰のための寺社巡りはありました。
江戸時代には庶民向けの寺社巡りも誕生しています。七福神めぐりも江戸時代に広まりました。ご利益めぐりが主な目的ですが、参拝の記念に判子や御朱印をいただけるところもあります。
現代でも様々な地域で寺社巡りがあります。好みのものを巡ってみるのもいいかもしれませんね。
お客様は神様ではない
また、お金を払ったからといって何でも許されるわけではありません。
大切なのは人としての信用やマナーです。お金で何でも解決できるという物質主義的な考えの人は、もともと神様を信じていないでしょう。
神様を信じていないのだあれば、神社に行く必要もないですし、御朱印を集める必要もないはずです。
「御朱印を集めるのは自由だ」という意見もあるかもしれません。でも自由とわがままや自分勝手とは違います。
自由には常に義務と責任が伴います。
とはいえ。参拝してマナーさえ守れば御朱印集めをしても誰にも怒られることはありません。
お客様は神様ではありません。神様は他にいます。勘違いはしないようにしましょう。
まとめ:御朱印が意味のあるものにするために
今回の記事では過熱する御朱印集めの現状と、その中で指摘される御朱印集めはよくないという意見について掘り下げてきました。
コレクション化や転売といった問題、そして参拝の本質を見失うリスクなど、様々な側面からその理由が見えてきました。
御朱印は単なるスタンプラリーではなく、参拝の証です。御朱印の本来の意味を理解して感謝の気持ちを持って寺社を訪れることが、御朱印と正しく向き合う上で最も大切なことだと言えるでしょう。御朱印集めはよくないと言われないような参拝を心がけたいですね。
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