古来より「開運」と「勝利」の神聖な女神として人々に信仰されてきた摩利支天。
摩利支天の使いとされるのが「猪(いのしし)」です。
勇猛果敢な猪は一体なぜ神聖な女神の眷属として、また乗り物として添えられているのでしょうか?
この記事では、摩利支天と猪という珍しい結びつきの背後にある象徴性を丁寧に探り、私たちがそこからどのようなご加護を得られるのかを明らかにしていきます。
摩利支天とは?陽炎の神聖な化身、隠密性の守護神
摩利支天は、古代インドで生まれた女神 マリーチがもとになっています。マリーチは「陽炎(かげろう)」という自然現象を神格化した女神です。
陽炎ははっきりとした形がなく、ゆらゆらしてすぐに消えてしまうもの。この特徴が摩利支天の特別な力と考えられています。
仏教に取り入れられた摩利支天は私たちを守ってくれる神様として信仰されてきました。
特に武士の間で強く信じられ、戦で勝ったり、無事に帰ってこられるようにお祈りされていました。
なぜなら、摩利支天は陽炎のように姿を隠す「隠形(おんぎょう)」の力を持つと信じられていたからです。敵に自分の姿を見せないことは、戦いにおいてとても重要な力だったのです。
摩利支天のご利益:勝利、隠密性、そしてご加護
利支天、私たちに様々なご利益をもたらしてくれる信じられています。特に有名なのは以下の3つのご利益です。
- 開運勝利のご利益:戦国時代の武将も戦の前に祈って勝利を願いました。現代でも、受験やスポーツなど、人生の大切な場面で成功を願う人々がお祈りしています。
- 敵からの守護のご利益:姿を隠す力で、敵の悪い企みや危害から身を守ってくれると信じられています。
- 商売繁盛のご利益:江戸時代には、商売の神様としても人気を集めました。競争を乗り越え、商売がうまくいくように助けてくれると考えられていました。
その他にも、地域によっては子宝に恵まれたり、目の病気が治ったりといったご利益も伝えられています。
このように、摩利支天様は、姿が見えなくなる陽炎の力を持つ女神様として、昔から多くの人々に様々なご加護を与えてくださる存在として大切にされています
猪(いのしし)が摩利支天の使になった理由

マリーチと猪
摩利支天の眷属(使い)といえば猪(いのしし)ですね。でもなぜ猪が眷属になっているのでしょうか?
摩利支天が猪を眷属とするようになった理由は、いくつかの説が考えられます。
陽炎のイメージとの関連性
摩利支天は陽炎という「見えないけれど存在する」不思議な現象が神様になった女神です。
一方、猪はまっすぐ突き進む力強さや、素早く動くイメージがあります。
この2つを結びつける理由として、
- 陽炎の「パッ」と現れて「スッ」と消える感じと、猪が勢いよく走り抜ける様子が似ていると考えられたのかもしれません。
- 陽炎は太陽の光から生まれるので、力強い太陽のイメージが、勢いのある猪の姿と重なったのかもしれません。
- 特に猪が太陽の前を素早く走り去る様子は、形がなく素早い陽炎と、隠れるのが得意な摩利支天様のイメージに合うと考えられたようです。
さらに、猪の持つ
- 目標に向かって突き進む力強さ
- 獲物を追いかける素早さ
- 茂みに隠れる隠密性
といった特徴は戦で勝利したい武士たちが求める力と重なりました。敵に見つからずに素早く動き目標を達成する。猪のイメージはまさに武士の理想の姿だったのです。
このように陽炎と猪、それぞれが持つイメージが摩利支天の持つ力と結びつき、猪が眷属(神様の使い)と考えられるようになったと考えられます。
インドにおける猪の神聖視
摩利支天の生まれた古代インドでは猪は神聖な動物と考えられていました。ヒンドゥー教の神様であるヴィシュヌ神が猪の姿に変身したという話もあるほどです。
そんな背景があったため、インドの神様である摩利支天が仏教に取り入れられた時、自然な流れで猪が眷属(神様の使い)として結びつけられたと考えられます。
さらに摩利支天の絵や像の中には、たくさんの猪に囲まれた女神や、猪の顔をした女神たちが一緒に描かれていることがあります。
これは猪がただの使い魔というだけでなく、摩利支天様の力そのものを表すとても大切な存在であることを示しているのかもしれません。
乗り物としての猪:インドと日本の描かれ方の違い
インドでは、摩利支天(マーリーチ)は7頭の力強い猪が引く特別な車に乗った姿でよく描かれています。昔のインドでは猪はパワフルな動物で神様の車を引くのにぴったりだと考えられていたのでしょう。
ところが日本では昔から馬車に乗る習慣があまりありませんでした。そのため日本で摩利支天様の像が作られる時には7頭ではなく1頭の猪に乗った姿で表されることが一般的です。
特に戦国時代になると、武士たちは摩利支天を自分の守り神として強く信じるようになり、猪に乗った勇ましい姿の像がたくさん作られました。
これは武士たちが素早く隠れて目標に向かって突き進む猪のイメージに、自分たちの理想の姿を重ね合わせたからかもしれません。
猪の顔を持つ女神たち:マーリーチとその眷属
面白いことに、インドでの摩利支天(マーリーチ)自身が猪の顔で描かれることがあります。
これは猪という動物が、摩利支天様の神聖な本質と深く繋がっていることを意味していると考えられます。
さらにマーリーチの眷属の中にも、猪の顔をした女神たちがいます。絵を見るとマーリーチの足元に4人の女神が描かれていることがあり、その名前はヴァルタリー、ヴァダーリー、ヴァラーリー、そしてヴァラーハームキーといいます。
出典:インド密教の仏たち
特に「ヴァラーハームキー」という名前は注目で、「ヴァラーハ」はサンスクリット語で「猪」、「ムキー」は「顔を持つ者」という意味です。
つまりヴァラーハームキーはまさに「猪の顔を持つ者」ということになります。
これはマーリーチの部下たちにとっても、猪の持つ神聖な意味がとても大切だということを示しています。
「七」という数字の神聖な意味:完全性と秩序
前にもお話したように、摩利支天(マーリーチ)は、7頭の猪が引く特別な車に乗った姿でよく描かれます。
古代インドでは「7」という数字はとても特別な意味を持っていました。それは宇宙の秩序が完璧であることや、神様と世界、そして人と神様との繋がりや調和を表すと考えられていたのです。
太陽神スーリヤも、7頭の馬が引く車に乗っています。これは太陽が動くこと、つまり宇宙の神聖な動きを「7」という数字で表しているのです。
同じようにマーリーチが7頭の猪に引かれる神聖な車に乗るという伝承も、神聖な力と宇宙の秩序を示していると考えられます。
仏教でも「7」は特別な数字としてよく出てきます。例えばお釈迦様が生まれてすぐに7歩歩いたという伝説や、七宝(金、銀、瑠璃、玻璃、珊瑚、瑪瑙、硨磲、7種類の宝物)などがあります。これらのことから「7」という数字が、神聖な完璧さや繋がりを表すシンボルだったことが分かります。
建仁寺禅居庵の摩利支天:七頭の猪が意味するもの
京都にある建仁寺の禅居庵は、日本三大摩利支天の一つとして知られています。ここに祀られている摩利支天の像は、7頭の神聖な猪の上に座っていると伝えられています。
「7」という数字は、古代インドでは「完璧」「全部そろっている」「きちんと整っている」という意味を持つ、特別な数字と考えられていました。
そのため摩利支天の持つ神聖さや力をさらに強くしていると考えられています。
インドのマーリーチは7頭の猪が引く特別な車に乗っていると信じられています。他にも仏教やインドの神話には、他にも7頭の動物を従えている神様がたくさんいて、「7」という数字が持つ神聖な力が大切だと考えられていました。
遠く離れたインドだけでなく日本でも摩利支天と7のつながりは受け継がれています。
京都にある建仁寺の禅居庵には約700年前に元からやってきた僧侶・清拙正澄が作った摩利支天堂があります。ここに祀られている摩利支天像は、七頭の神聖な猪の上に座しています。
この摩利支天像は日本三大摩利支天の一つとして知られています。
まとめ:摩利支天と猪は開運と勝利への深い絆で結ばれている
これまでの情報をまとめると、摩利支天様と猪の関係は単なる神様と使いの動物というだけでなく、もっと深い意味を持つ特別な繋がりだと言えます。
猪の持つ、
- 素早さ: ピンチから素早く助けてくれる力
- 目標に向かって突き進む力: 目標達成への強い後押し
- 隠密性: 敵の策略から身を守る力
といった特徴は、まさに戦で勝利を願う武士たちが理想とした力であり、勝利への道を開くエネルギーと重なります。
また、7頭の猪が表す「完璧さ」や「秩序」は、摩利支天様が宇宙全体の祝福をもたらす女神であることを示しているのかもしれません。
摩利支天を信じ、猪の象徴する意味を理解することで、摩利支天の神聖な守りと力を得ることができるのかもしれません。
そうすれば自分の人生を切り開いていくことができるかもしれませんね。
コメント